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[いきあたりばったり] かなりの勢いで無駄なことしか書いていないブログ。割と内輪向けですごめんなさい。
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設定だけで泣きそうになる自分は異常。
読んで勝手に妄想が膨らんでそれに泣きそう。
うわぁぁぁぁああ…

・同じハプスブルクでもオーストリアさんより兄さん、でも先に終わった

・「WW2後ははロシアの支配下に置かれて日々イタリアの暖かい日差しを夢見ながら、儲からない仕事に精を出す羽目になった」っていうプー。
ドイツとプーの妄想書くと長くなるっていうか整理がつかない。
ドイツが小さいときは「ギル」「ルーディ」呼びの仲→ドイツがプーを吸収(プロイセン王で最初のドイツ皇帝ヴィルヘルム1世は「ドイツ帝国によるプロイセン王国の併合」だとして嫌悪感を隠さなかったそうだ)
→その後まあ一緒にやっていく訳ですが、WW1で敗戦、西プロイセンはポーランド回廊として取られてしまうわけです。で、東プロイセンは飛び地になる。この地域に対する領土請求がWW2勃発の原因となる…プー、兄をなんとしてでも取り戻そうとするドイツ。。゚(゚´Д`゚)゚。
結局敗戦。プー…神聖ローマがドイツっていう設定はよく見るが、プーの方が先なんだよね。うーん…もう三兄弟でいいじゃない…若すぎる死を迎えた神聖ローマとか。だめですか…イタリア救われませんか…良い設定ないかな…

英「アメリカに独立されてからの数十年間はかなり荒れていた」
しかしよく阿片ネタがあるけど阿片戦争は1840年…
でも「イギリスはアメリカ独立戦争の戦費調達や産業革命による資本蓄積のため、銀の国外流出を抑制する政策をとった。そのためイギリスは清へ輸出出来る物品として、植民地のインドで栽培させたアヘンを仕入れ、これを清に密輸出する事で超過分を相殺し、三角貿易を整えることとなった。」ってことはその時にはもうインドに作らせてたということで。
うん、この頃は相当ひどかったに違いない。

・米「自分の国の歴史のなさは少しコンプレックスになってるらしい。」
フランスに嫉妬するときはきっとこの辺だな。
「実は空気読めないんじゃなくて、わざと読んでない。」
「昔は泣き虫ですぐにイギリスやフランスを頼る弟体質だったが
 厳しい西部の風に吹かれてるうち、いつの間にか精神的にも肉体的にも異常に成長してしまい、なんか甘えられなくなっていた。


あーーーめりかーーーーーー大好きだおまえ…

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