[いきあたりばったり]
かなりの勢いで無駄なことしか書いていないブログ。割と内輪向けですごめんなさい。
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デンマーク戦争〜普仏戦争関連ネタ。プロイセン=ドイツってことで。
一応ドイツ視点で。貴族もといオーストリアさん出てきます。
ドイツの上司は誰だか…分かるよね
時間があればもっと推敲したいです。今のところ会話重視。自分のスタイルではない…;;いつか直したいです。しかし言って直した試しがありません(だめじゃん)
後半はちゃんとパソで打ったものだからまぁ、それなりです。
じゃぁどうぞ。
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一応ドイツ視点で。貴族もといオーストリアさん出てきます。
ドイツの上司は誰だか…分かるよね
時間があればもっと推敲したいです。今のところ会話重視。自分のスタイルではない…;;いつか直したいです。しかし言って直した試しがありません(だめじゃん)
後半はちゃんとパソで打ったものだからまぁ、それなりです。
じゃぁどうぞ。
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「それくらい、別に構いませんよ」
優雅に茶をすすりながら、オーストリアはそう答えた。
「そうか、助かる」
自分の分も茶を入れてくれたハンガリーに小さく礼を言い、自分も一口すする。
「しかし…貴方ほどの力があればデンマークなど容易いでしょうに」
「やるからには徹底的にと思ってな」
「慎重派なんですね」
まぁ、貴方らしいとは思いますが、と続けて彼はもう一口茶を口にする。
思惑通り、彼はこちらの意図に気づいていない。
――気づくはずもないのだが。
「用件はそれだけですか?」
「ああ」
ドイツがそう答えると、オーストリアは席を立った。
「では私はこれで」
「協力、感謝する」
1864年10月、ウィーンで条約締結。
「やはり、呆気なかったですね」
「そうだな」
予想通り、早々と片が付いた。
プロイセン単独でも勝てることは分かっていたし、それで余裕だったとも思う。
にも関わらず、何故オートリアに協力を仰いだか?
「どうでした?オーストリア軍の働きは」
なかなかのものでしょう、とどこか得意げだ。
――次の標的が自分だとも知らずに。
そう、オーストリアの軍事力を調べること。それがプロイセンとしてのこの戦争の目的だった。
「ああ、頼もしいな」
プロイセンには劣るが、と心の中で付け加えておく。
「…で、シュレスヴィヒとホルシュタインは我々の管理下ということでいいのですね?分けますか?」
「いや…その件に関しては少し待ってくれ」
一応上司に指示を仰いだ方がいいだろう。
「わかりました。では私の上にも聞いておきましょう」
「では帰還する。ご苦労だったな」
「ええ、あなたも」
帰還して上司に報告すれば、今日の任務は終わりだ。
「――恐ろしい男だ…」
鉄血宰相とはよく言ったものだと思う。
これを見て我が国が次にオーストリアと戦うつもりだと誰が分かるだろうか。
彼の深謀遠慮は凄まじいものがある。
オーストリアには気の毒だが、ドイツ統一のためには仕方がない。
彼の次は、おそらくフランスだろう。今回手を出してこないようにとラインラントの辺りを一部与えておいたらしいが、それも取り返さねばならない。
あとはアルザスとロレーヌ、あの辺りも欲しいところだ。資源はあるに越したことはない。
そちらはオーストリアのように容易くはいかないだろう。何しろあの戦好きなナポレオン3世だ。
「前途多難だな…」
ひとりごちると、どっと疲れを感じる。
明日も忙しくなるに違いない。今日は早く寝よう。
そう思った。
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・スウェーデンが派兵してくれるはずだったのに来なかったからさらにあっさりだったんだよデンマーク。カワイソス。
・この後1866年普墺戦争でドイツはシュレスヴィヒとホルシュタイン両方をぶんどります。哀れオーストリア。
・普仏戦争は1870年。フランスは第二帝政は崩壊して(セダンの戦いでナポレオン3世が捕虜となる)1871年3月28日パリ=コミューン設立。同年5月にプロイセンに粛正される。
ちょっと前の1月に、パリ砲撃が続く中でプロイセン王がヴェルサイユ宮殿にて新たに樹立されたドイツ帝国の皇帝ヴィルヘルム1世として即位。
1875年2月、第三共和制政府発足。
・会話が続くところで不自然に一行空いてたりするのは、がんばって文章を入れようとした名残ですきっと。あああ。
優雅に茶をすすりながら、オーストリアはそう答えた。
「そうか、助かる」
自分の分も茶を入れてくれたハンガリーに小さく礼を言い、自分も一口すする。
「しかし…貴方ほどの力があればデンマークなど容易いでしょうに」
「やるからには徹底的にと思ってな」
「慎重派なんですね」
まぁ、貴方らしいとは思いますが、と続けて彼はもう一口茶を口にする。
思惑通り、彼はこちらの意図に気づいていない。
――気づくはずもないのだが。
「用件はそれだけですか?」
「ああ」
ドイツがそう答えると、オーストリアは席を立った。
「では私はこれで」
「協力、感謝する」
1864年10月、ウィーンで条約締結。
「やはり、呆気なかったですね」
「そうだな」
予想通り、早々と片が付いた。
プロイセン単独でも勝てることは分かっていたし、それで余裕だったとも思う。
にも関わらず、何故オートリアに協力を仰いだか?
「どうでした?オーストリア軍の働きは」
なかなかのものでしょう、とどこか得意げだ。
――次の標的が自分だとも知らずに。
そう、オーストリアの軍事力を調べること。それがプロイセンとしてのこの戦争の目的だった。
「ああ、頼もしいな」
プロイセンには劣るが、と心の中で付け加えておく。
「…で、シュレスヴィヒとホルシュタインは我々の管理下ということでいいのですね?分けますか?」
「いや…その件に関しては少し待ってくれ」
一応上司に指示を仰いだ方がいいだろう。
「わかりました。では私の上にも聞いておきましょう」
「では帰還する。ご苦労だったな」
「ええ、あなたも」
帰還して上司に報告すれば、今日の任務は終わりだ。
「――恐ろしい男だ…」
鉄血宰相とはよく言ったものだと思う。
これを見て我が国が次にオーストリアと戦うつもりだと誰が分かるだろうか。
彼の深謀遠慮は凄まじいものがある。
オーストリアには気の毒だが、ドイツ統一のためには仕方がない。
彼の次は、おそらくフランスだろう。今回手を出してこないようにとラインラントの辺りを一部与えておいたらしいが、それも取り返さねばならない。
あとはアルザスとロレーヌ、あの辺りも欲しいところだ。資源はあるに越したことはない。
そちらはオーストリアのように容易くはいかないだろう。何しろあの戦好きなナポレオン3世だ。
「前途多難だな…」
ひとりごちると、どっと疲れを感じる。
明日も忙しくなるに違いない。今日は早く寝よう。
そう思った。
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・スウェーデンが派兵してくれるはずだったのに来なかったからさらにあっさりだったんだよデンマーク。カワイソス。
・この後1866年普墺戦争でドイツはシュレスヴィヒとホルシュタイン両方をぶんどります。哀れオーストリア。
・普仏戦争は1870年。フランスは第二帝政は崩壊して(セダンの戦いでナポレオン3世が捕虜となる)1871年3月28日パリ=コミューン設立。同年5月にプロイセンに粛正される。
ちょっと前の1月に、パリ砲撃が続く中でプロイセン王がヴェルサイユ宮殿にて新たに樹立されたドイツ帝国の皇帝ヴィルヘルム1世として即位。
1875年2月、第三共和制政府発足。
・会話が続くところで不自然に一行空いてたりするのは、がんばって文章を入れようとした名残ですきっと。あああ。
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