[いきあたりばったり]
かなりの勢いで無駄なことしか書いていないブログ。割と内輪向けですごめんなさい。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ぽちぽち書いてます。ほとんど会話だけだけど、これ以上発展させる頭がなかったのでアップ。イギリスとフランスは動かしづらい…口調がよくわからん。
しかも二人でずっと話してるとどっちがどっちだか分からなくなる罠。この前のアフリカの年もかなり分かりづらかったかとorz
イタリア周辺も書きたいのいっぱいあるんだけどまじめなイタリアがどんな風に話すのか不明なので書けず…しかも伊土戦争とかドイツとの破局フラグだよ!!そんな話書けませーん(笑)まぁ、WW1直前だからね…イタリア三国同盟のくせに中立の後ちゃっかり連合国側だからね…裏切りは特技です。
でもそれはきっとロマーノだって信じてる!!ヴェネチアーノは最後までドイツと一緒だったんだよぉぉぉぉ(あれWW2に飛んだ)
上記と全く関係ないけど仏英愛の物語(違)
しかも二人でずっと話してるとどっちがどっちだか分からなくなる罠。この前のアフリカの年もかなり分かりづらかったかとorz
イタリア周辺も書きたいのいっぱいあるんだけどまじめなイタリアがどんな風に話すのか不明なので書けず…しかも伊土戦争とかドイツとの破局フラグだよ!!そんな話書けませーん(笑)まぁ、WW1直前だからね…イタリア三国同盟のくせに中立の後ちゃっかり連合国側だからね…裏切りは特技です。
でもそれはきっとロマーノだって信じてる!!ヴェネチアーノは最後までドイツと一緒だったんだよぉぉぉぉ(あれWW2に飛んだ)
上記と全く関係ないけど仏英愛の物語(違)
「珍しいな、お前が俺に頭下げるなんて」
「…しょうがねぇだろ。俺はお前みたいに金も海軍力もねぇんだから」
お前みたいに『光栄ある孤立』とか言って気取ってらんねぇんだよ、と思わず毒づく。しかし、嫌みの一つでも返してくるかと思われたイギリスはというと、一瞬ぎくりとしただけだった。
「…じゃぁ、俺がエジプト持ってることに文句はない、ってことでいいんだな?」
ややあって話を逸らすように言うイギリス。
「…?ああ」
イギリスの態度を訝りつつも、フランスは上司からそう譲歩しろと命令を受けていることを伝えた。
情けないとは思うが、これも仕方がない。
正直言って、今イギリスと戦うのはかなり辛いのだ。軍事的にもそうだが、今フランスはドレフュス事件のせいで真っ二つに割れている。とても戦争などできる状態ではない。
「お前がそこまでおとなしいのが気持ち悪いんだが…まぁ、今俺もドイツとロシアに手を焼いていて大変なんだ。――まぁ、モロッコの領有くらい認めてもらうように上司に言っといてやるよ」
「お前もなかなか雨降りそうなこと言うじゃねぇか」
言って、フランスは空を仰いだ。ファショダの空。サハラ砂漠近くのカラカラに乾いた空気だ。
「うっさい。俺は今お前なんかよりもドイツの野郎の方にムカついてて忙しいんだよ。俺との建艦競争やりだすわ当てつけがましくトランスヴァールの首相に激励電報送るわ 俺 の インド狙ってんだかなんだかしんねぇけどトルコからバグダード鉄道の敷設権手に入れてるし…」
上司変わったとたんに態度変わりやがって何なんだよあいつは、と締めくくったイギリスの愚痴ももっともだと思う。
「ドイツねぇ…」
フランスとて、ロシアと同盟を結ぶまで孤立させられていた恨みがある。
前の皇帝に至ってはヴェルサイユで即位するという最大限の屈辱を与えられたのも記憶に新しい。
「じゃー、これから協力してドイツどうにかすっかー…」
「その前に日本とロシアどうするよ。俺は日本、お前はロシアと同盟結んでるだろ」
(注:1898年ファショダ事件当時はまだ日英同盟来てないよ!!)
「あー…正直めんどくさいから俺パス」
ロシアならおそらく大丈夫だろう。それに、自分が参戦するとイギリスまで出来てようやく和解した今回の成果が無駄になる恐れもある。
「じゃあ俺もパスだな。もし始まったら正式に協商結ぶってことでいいな?」
「OK了解」
6年後の1904年、日露戦争勃発。
同年英仏協商成立。
*****
「あれ」
「…なんだよ」
「そういえばお前、『光栄ある孤立』はどうしたんだ?」
「う…うっさい!!南アフリカにかかりっきりでロシアの相手してらんなかったんだよ!!」
「へーほー」
ニヨニヨニヨニヨ。
(1902年に日英同盟結んだのでした)
-----------------------------------------------------------------
●イギリスがぎくりとしたのはその頃から友達探してたからでした。南ア戦争(ブール戦争、ボーア戦争)で忙しかったんだよね!でもできませんでした。残念!!そしたら新米列強の日本タンが現れました。よかったねイギリス!!
●南ア戦争:イギリスが金とダイヤモンドに目がくらんでブール人支配のトランスヴァール共和国とオレンジ自由国にケンカ吹っかけた戦争。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が電報送ったっていうのはクリューガー電報事件のこと。当時のイギリス植民地大臣はジョゼフ=チェンバレン。
●ドレフュス事件:フランスの軍部がユダヤ系将校のドレフュスを「ドイツのスパイ」に仕立て上げた事件。軍部に対する国民の信頼が揺らぐことに。
●ロシアの敗北を見てロシアの脅威を感じなくなったイギリスは1907年英露協商を結ぶ。これは同時に英・仏・露の三国協商の成立も意味する。
●1905年第1次モロッコ事件→inタンジール
ドイツがフランスにケンカ売ってきたよ!!イギリスもタンジール対岸にジブラルタルとか持ってるからヒヤヒヤだよ!!
1906年アルヘシラス会議で一応譲歩するドイツ。
でも懲りずに1911年またもやモロッコキタよ。第2次モロッコ事件今度はinアガディール。
「これもイギリスとフランスの 団 結 によって彼(=ヴィルヘルム2世)のモロッコ侵略の意図は粉砕されていきます」(実況中継?P312)
仏英。団結だって(*´∀`*)ウフフ
『ユーロトンネルを走るユーロスターの終着駅であるロンドンのウォータールー駅とパリの北駅には、両国の国旗と'Entente Cordiale'の文字が掲げられている。
2004年には、調印100周年を記念して様々な行事が行われた』(ウィキペディア)
(*´∀`*)ウフフフフフフフフフフフフ腐腐腐
「…しょうがねぇだろ。俺はお前みたいに金も海軍力もねぇんだから」
お前みたいに『光栄ある孤立』とか言って気取ってらんねぇんだよ、と思わず毒づく。しかし、嫌みの一つでも返してくるかと思われたイギリスはというと、一瞬ぎくりとしただけだった。
「…じゃぁ、俺がエジプト持ってることに文句はない、ってことでいいんだな?」
ややあって話を逸らすように言うイギリス。
「…?ああ」
イギリスの態度を訝りつつも、フランスは上司からそう譲歩しろと命令を受けていることを伝えた。
情けないとは思うが、これも仕方がない。
正直言って、今イギリスと戦うのはかなり辛いのだ。軍事的にもそうだが、今フランスはドレフュス事件のせいで真っ二つに割れている。とても戦争などできる状態ではない。
「お前がそこまでおとなしいのが気持ち悪いんだが…まぁ、今俺もドイツとロシアに手を焼いていて大変なんだ。――まぁ、モロッコの領有くらい認めてもらうように上司に言っといてやるよ」
「お前もなかなか雨降りそうなこと言うじゃねぇか」
言って、フランスは空を仰いだ。ファショダの空。サハラ砂漠近くのカラカラに乾いた空気だ。
「うっさい。俺は今お前なんかよりもドイツの野郎の方にムカついてて忙しいんだよ。俺との建艦競争やりだすわ当てつけがましくトランスヴァールの首相に激励電報送るわ 俺 の インド狙ってんだかなんだかしんねぇけどトルコからバグダード鉄道の敷設権手に入れてるし…」
上司変わったとたんに態度変わりやがって何なんだよあいつは、と締めくくったイギリスの愚痴ももっともだと思う。
「ドイツねぇ…」
フランスとて、ロシアと同盟を結ぶまで孤立させられていた恨みがある。
前の皇帝に至ってはヴェルサイユで即位するという最大限の屈辱を与えられたのも記憶に新しい。
「じゃー、これから協力してドイツどうにかすっかー…」
「その前に日本とロシアどうするよ。俺は日本、お前はロシアと同盟結んでるだろ」
(注:1898年ファショダ事件当時はまだ日英同盟来てないよ!!)
「あー…正直めんどくさいから俺パス」
ロシアならおそらく大丈夫だろう。それに、自分が参戦するとイギリスまで出来てようやく和解した今回の成果が無駄になる恐れもある。
「じゃあ俺もパスだな。もし始まったら正式に協商結ぶってことでいいな?」
「OK了解」
6年後の1904年、日露戦争勃発。
同年英仏協商成立。
*****
「あれ」
「…なんだよ」
「そういえばお前、『光栄ある孤立』はどうしたんだ?」
「う…うっさい!!南アフリカにかかりっきりでロシアの相手してらんなかったんだよ!!」
「へーほー」
ニヨニヨニヨニヨ。
(1902年に日英同盟結んだのでした)
-----------------------------------------------------------------
●イギリスがぎくりとしたのはその頃から友達探してたからでした。南ア戦争(ブール戦争、ボーア戦争)で忙しかったんだよね!でもできませんでした。残念!!そしたら新米列強の日本タンが現れました。よかったねイギリス!!
●南ア戦争:イギリスが金とダイヤモンドに目がくらんでブール人支配のトランスヴァール共和国とオレンジ自由国にケンカ吹っかけた戦争。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が電報送ったっていうのはクリューガー電報事件のこと。当時のイギリス植民地大臣はジョゼフ=チェンバレン。
●ドレフュス事件:フランスの軍部がユダヤ系将校のドレフュスを「ドイツのスパイ」に仕立て上げた事件。軍部に対する国民の信頼が揺らぐことに。
●ロシアの敗北を見てロシアの脅威を感じなくなったイギリスは1907年英露協商を結ぶ。これは同時に英・仏・露の三国協商の成立も意味する。
●1905年第1次モロッコ事件→inタンジール
ドイツがフランスにケンカ売ってきたよ!!イギリスもタンジール対岸にジブラルタルとか持ってるからヒヤヒヤだよ!!
1906年アルヘシラス会議で一応譲歩するドイツ。
でも懲りずに1911年またもやモロッコキタよ。第2次モロッコ事件今度はinアガディール。
「これもイギリスとフランスの 団 結 によって彼(=ヴィルヘルム2世)のモロッコ侵略の意図は粉砕されていきます」(実況中継?P312)
仏英。団結だって(*´∀`*)ウフフ
『ユーロトンネルを走るユーロスターの終着駅であるロンドンのウォータールー駅とパリの北駅には、両国の国旗と'Entente Cordiale'の文字が掲げられている。
2004年には、調印100周年を記念して様々な行事が行われた』(ウィキペディア)
(*´∀`*)ウフフフフフフフフフフフフ腐腐腐
PR
この記事にコメントする