[いきあたりばったり]
かなりの勢いで無駄なことしか書いていないブログ。割と内輪向けですごめんなさい。
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実況中継にネタメモ貼っといたのに学校置いて来ちゃったから激しくウロ。
もうなんか、覚えること重視。
ロシア来てるよロシア!!
もうなんか、覚えること重視。
ロシア来てるよロシア!!
僕はただ、みんなが平等に幸せに暮らせたらよかったんだ
みんなみんな、僕を恐れている。離れていく。
バルト3国はもういない。ユーゴのティトーは最初から反抗的だった。
ポーランドのゴムウカ、ルーマニアのチャウシェスク、チリのアジェンデはみんな失脚してしまった。代わりにポーランドにはワレサ、チリにはピノチェトとかいう奴らがトップに立った。チェコスロヴァキアではドプチェクが『プラハの春』なんて言ってる。
みんな、とてもじゃないけど仲良くしてくれそうにない。
ハンガリーのナジ=イムレは、僕に反抗するようなことばっかりしてたからちょっと黙って貰った。代わりに誰が立ったかなんていうのは知らない。別にどうでもいい。
…ああ、中国君とも仲悪くなっちゃったんだっけ。思えばそれが契機だったのかもしれない。56年に僕の上司がもっと前の上司を批判しちゃってから。
69年にはちょっとした衝突も起きちゃった。それからだよね。君がアメリカ君と仲良くなり出したのは。僕とアメリカ君が喧嘩してるの知ってたくせに。
ねぇ、どうして?資本主義って、そんなに良い物に見える?
あんな不平等で、弱者に対して冷たい世界が。どうして?
ああ、でも…
僕ももう、アメリカ君と張り合うのも、疲れちゃったなぁ…
そしたら、今の僕の上司が「新ベオグラード宣言」なんていうのを出した。
「各国の自主路線を容認する」なんて…そんなこと言ったらどうなるかなんて、誰の目から見ても分かるじゃないか。
また、ぼくはひとり。まっしろなせかいで、ひとりきり。
1991年ソヴィエト社会主義共和国連邦崩壊
---------------------------------------------------------------
暗。
ホントはこの後にポーランドとかリトアニアとかが出てくるの考えてました。
でもちょっと書けなかった。もしかしたら後で足すかも。
ポ「っつか、これでロシアも先進国じゃなくなったしーまじうけるー」
リト「今度は対等な国同士として仲良くしましょう。ね?」的な奴。
後ろにびくぶるしながらもエストニアとラトビアがいたら尚よし。
以下の文(ウィキペディア)読むと、ますますロシアが切なくなる。
『革命の後にポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア、スロベニア、クロアチアなど「東欧」と呼ばれていた国々は揃って「自分たちは『東欧』ではなく、『中欧』であると主張し始めた。以降それらの国々の主張に従って彼らを旧共産圏で、ヨーロッパの東側にあったことから単純に「東欧」と呼ぶのをやめ、「中欧」と呼ぶ試みがはじめられている。これは現在でも東欧と語られることの多いロシアと比べても文化的背景が異なっていたことを示している。これは宗教的な面で大きく、これらの地域は同じスラブ人が多く住みながらも
ロシア 東方正教会(ロシア正教)
ポーランド カトリック
ハンガリー カトリック
東ドイツ ルター派
チェコスロバキア カトリック(一部ルター派)
ルーマニア 東方正教会(ルーマニア正教会。ただし国内には、非正教会のマジャル人もいる)
クロアチア カトリック
スロベニア カトリック
リトアニア カトリック
エストニア ルター派
ラトビア ルター派
とルーマニア以外では大きく異なっており、そのルーマニアでさえ総主教座は異なっているため宗教的なメンタリティーはロシアから独立していると言ってもよい。特にポーランドにおける初期の状況ではこの宗教性の違いが反ロシアの大きなナショナリズムを生み出すことになった(ポーランド民主化運動参照)。
また、これらの国は歴史的に見て広義的なドイツ語圏の中に含まれている。中でもスロベニア等では現在も公用語としてドイツ語が使われている。歴史的に見てもポーランド南部、ハンガリー、チェコスロバキア、クロアチア、スロベニア、そしてルーマニアのトランシルヴァニアは1918年まで、オーストリア・ハンガリー帝国の領域であったし、東ドイツ、ポーランド西部はドイツ帝国の領域であった。これらの地域にすむ各民族は個々の民族主義を主張しながらも、同じドイツ語圏にあって非常に似通った考え方をしていた事がわかっている。この似通った考え方の一つが、自分たちはヨーロッパ史に参加しているという意識である。
このような彼らに共通する経験が「中欧」と言う意識、「ロシア」とは異なると言う意識。そして「ロシア的」なものは「ヨーロッパ的」ではない。という意識が芽生えてくる。 これらの国々は革命後漏らさずにNATOに加盟し(もしくは「平和のためのパートナーシップ」を結び)、EUに加盟しようとしているが、ここでも「ヨーロッパへの復帰」が強く意識されている』
ロシアぁぁぁぁ…!!。゚(゚´Д`゚)゚。
あ、これが今年最後の更新ですね。種一色ブログからいつの間にかヘタリア一色になってて染井自身衝撃ですが(笑)こんなブログを見てくださってありがとうございました!!来年もぎゃんばります。
あーまた白組優勝だね。
姉がよく中日絵を描いてるんですが。
お兄ちゃんがかっこよすぎるんですが。どうしてくれよう。
あとニュースで見たけど、北朝鮮に対する態度の別れっぷりが超面白かった。
まさに 米日VS露中 でした。
こんなんが今年最後かよ!!では良いお年を!!
みんなみんな、僕を恐れている。離れていく。
バルト3国はもういない。ユーゴのティトーは最初から反抗的だった。
ポーランドのゴムウカ、ルーマニアのチャウシェスク、チリのアジェンデはみんな失脚してしまった。代わりにポーランドにはワレサ、チリにはピノチェトとかいう奴らがトップに立った。チェコスロヴァキアではドプチェクが『プラハの春』なんて言ってる。
みんな、とてもじゃないけど仲良くしてくれそうにない。
ハンガリーのナジ=イムレは、僕に反抗するようなことばっかりしてたからちょっと黙って貰った。代わりに誰が立ったかなんていうのは知らない。別にどうでもいい。
…ああ、中国君とも仲悪くなっちゃったんだっけ。思えばそれが契機だったのかもしれない。56年に僕の上司がもっと前の上司を批判しちゃってから。
69年にはちょっとした衝突も起きちゃった。それからだよね。君がアメリカ君と仲良くなり出したのは。僕とアメリカ君が喧嘩してるの知ってたくせに。
ねぇ、どうして?資本主義って、そんなに良い物に見える?
あんな不平等で、弱者に対して冷たい世界が。どうして?
ああ、でも…
僕ももう、アメリカ君と張り合うのも、疲れちゃったなぁ…
そしたら、今の僕の上司が「新ベオグラード宣言」なんていうのを出した。
「各国の自主路線を容認する」なんて…そんなこと言ったらどうなるかなんて、誰の目から見ても分かるじゃないか。
また、ぼくはひとり。まっしろなせかいで、ひとりきり。
1991年ソヴィエト社会主義共和国連邦崩壊
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暗。
ホントはこの後にポーランドとかリトアニアとかが出てくるの考えてました。
でもちょっと書けなかった。もしかしたら後で足すかも。
ポ「っつか、これでロシアも先進国じゃなくなったしーまじうけるー」
リト「今度は対等な国同士として仲良くしましょう。ね?」的な奴。
後ろにびくぶるしながらもエストニアとラトビアがいたら尚よし。
以下の文(ウィキペディア)読むと、ますますロシアが切なくなる。
『革命の後にポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア、スロベニア、クロアチアなど「東欧」と呼ばれていた国々は揃って「自分たちは『東欧』ではなく、『中欧』であると主張し始めた。以降それらの国々の主張に従って彼らを旧共産圏で、ヨーロッパの東側にあったことから単純に「東欧」と呼ぶのをやめ、「中欧」と呼ぶ試みがはじめられている。これは現在でも東欧と語られることの多いロシアと比べても文化的背景が異なっていたことを示している。これは宗教的な面で大きく、これらの地域は同じスラブ人が多く住みながらも
ロシア 東方正教会(ロシア正教)
ポーランド カトリック
ハンガリー カトリック
東ドイツ ルター派
チェコスロバキア カトリック(一部ルター派)
ルーマニア 東方正教会(ルーマニア正教会。ただし国内には、非正教会のマジャル人もいる)
クロアチア カトリック
スロベニア カトリック
リトアニア カトリック
エストニア ルター派
ラトビア ルター派
とルーマニア以外では大きく異なっており、そのルーマニアでさえ総主教座は異なっているため宗教的なメンタリティーはロシアから独立していると言ってもよい。特にポーランドにおける初期の状況ではこの宗教性の違いが反ロシアの大きなナショナリズムを生み出すことになった(ポーランド民主化運動参照)。
また、これらの国は歴史的に見て広義的なドイツ語圏の中に含まれている。中でもスロベニア等では現在も公用語としてドイツ語が使われている。歴史的に見てもポーランド南部、ハンガリー、チェコスロバキア、クロアチア、スロベニア、そしてルーマニアのトランシルヴァニアは1918年まで、オーストリア・ハンガリー帝国の領域であったし、東ドイツ、ポーランド西部はドイツ帝国の領域であった。これらの地域にすむ各民族は個々の民族主義を主張しながらも、同じドイツ語圏にあって非常に似通った考え方をしていた事がわかっている。この似通った考え方の一つが、自分たちはヨーロッパ史に参加しているという意識である。
このような彼らに共通する経験が「中欧」と言う意識、「ロシア」とは異なると言う意識。そして「ロシア的」なものは「ヨーロッパ的」ではない。という意識が芽生えてくる。 これらの国々は革命後漏らさずにNATOに加盟し(もしくは「平和のためのパートナーシップ」を結び)、EUに加盟しようとしているが、ここでも「ヨーロッパへの復帰」が強く意識されている』
ロシアぁぁぁぁ…!!。゚(゚´Д`゚)゚。
あ、これが今年最後の更新ですね。種一色ブログからいつの間にかヘタリア一色になってて染井自身衝撃ですが(笑)こんなブログを見てくださってありがとうございました!!来年もぎゃんばります。
あーまた白組優勝だね。
姉がよく中日絵を描いてるんですが。
お兄ちゃんがかっこよすぎるんですが。どうしてくれよう。
あとニュースで見たけど、北朝鮮に対する態度の別れっぷりが超面白かった。
まさに 米日VS露中 でした。
こんなんが今年最後かよ!!では良いお年を!!
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